最近日本大学のアメリカンフットボール部の不祥事が話題となっています。

マスコミは連日、大学側の責任を追及していますが、私はちょっと違う点が気になります。

それは、「明らかに正しくない上司の命令」に対する「選手の良心の抵抗」が全く受け入れてこなかった事態の恐ろしさです。

この点を追及すると哲学に行き着くので、マスコミは避けているのでしょうけど、ここが一番恐ろしい点です。

大東亜戦時中の事なら、いくらでも批判されていますが、同じことが21世の日本で当たり前のように行われていたのです。

今回の問題も対戦相手の猛烈な抗議、選手の告白記者会見が無ければ、大学側の説明の様に何事もなく見過ごされていたのかと思うとぞっとします。